あちこちで物議をかもしている、才の年表(砥尚〜黄姑の空位期間)についての考察をしたいと思います。
ここで問題となるのは、『風の万里 黎明の空(上)』P147における、
『実際には二王に仕えた采麟の方が(鈴より)年長なのだが』と言う文章である。
1.采麟 > 鈴
采麟 > 116(12で流されて、4年間旅をして、梨耀に仕えて100年)
2.砥尚朝を(20+α)年とし、空位期間をX年とおく。
八歳のとき砥尚を選んだのだから、扶王〜砥尚の空位期間は8年とする。
(細かく言えば、前宰輔と扶王が同時に斃れていれば
采果が孵るまでの十ヶ月も含まれるが、この際省く)
采麟 = 8+(20+α)+X+12 > 116
α+X > 76
3.『三十年ほど前、朱夏は扶王の治世に憤る…』(WH華胥P204)(新華胥P194)とあるので、
(20+α)+8 < 約30
α < 約2
また、砥尚朝を『30年弱』ではなく『20年余り』と表記してあることもあり、
αは5未満であると考えてよいと思われる。
4.α=2 として2.の式に代入する。
2+X > 76
X > 74
5.『台輔を才に残してくれました。空位は長くは続かないでしょう』(WH華胥P316)(新華胥P297)
とある上に、王のいない麒麟の寿命は30年程度である。
どう考えても X≒74 は大きすぎる。
ここで!!新展開がありました!!
上で書きました『風の万里 黎明の空(上)』は1997年4月1日発行の第10版です。2000年10月15日発行第1版
の講談社文庫でも同様の記載があります。
ところが2003年8月26日発行の第30版のWHでは、
『二王に仕えた采麟なのだが』と大幅(?)カットになっていたのです!
さあこれを踏まえて、もう一度考察してみましょう。
1.砥尚朝を(20+α)年とし、空位期間をX年とおく。
八歳のとき砥尚を選んだのだから、扶王〜砥尚の空位期間は8年とする。
采麟 = 8+(20+α)+X+12
= α+X+40
2.『三十年ほど前、朱夏は扶王の治世に憤る…』(WH華胥P204)(新華胥P194)とあるので、
(20+α)+8 < 約30
α < 約2
3.α=2として1.の式に代入。
采麟 = 2+X+40
= X+42
これで、Xは適当に小さい数字を嵌めればいいかと思われた。
が、そうは問屋が卸さなかった。
4.梨耀が翠微洞へ追い出されたのを、扶王が斃れるβ年前とする。
扶王が斃れてからの年数 = 采麟の年齢 = X+42 であるので、
翠微君となってからの年数 = X+42+β
5.これは、鈴が翠微洞へ仕えた年数100年よりも大きいと言える。
X+42+β > 100
X+β > 58
こんな感じ。
6.黄姑がすぐそこにいながら、何年も選べなかったわけはないはず。
どう長く見積もっても2年といったところ。
X=2 と置いて5.の式に代入する。
2+β > 58
β > 56
『梨耀を遠ざけてのち、扶王の玉座は急速に傾いた』(WH万里上P147)(新万里上P156)とあるが、
急速に傾いたものが50年以上ももつものだろうか?
結論 やっぱりわからない。
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