凌雲山について

五門とか、国府とか、その配置がいまいちね。
 雉門は関弓山の麓にある。山頂に広がるのは燕朝、ここには王の居宮や朝廷、高級官の官邸や府第などが続く。中級官以下の官邸と府第のあるのが外朝、これは雲海の下、山の中腹に存在した。 さらに下ると関弓山の麓に出る。そこにあるのが国府で、宮城の入口となる皋門から国府の奥の雉門までは市民の出入りが許されている。それで雉門を中門とも言った。(新海神78)
麓に国府があって、入り口が皋門、奥に雉門があるという。
だが、
 宮城の入口である皋門にも、いささかの変化もない。皋門を潜り、国府を抜け、庫門から雉門へと一つずつ門を潜って宮城を上へと登っていく。応門を抜けて雲海の真下に出た。ここには官府と官邸が広がる。 基本的に士卒は王宮内には住まないが、王師六軍の将軍とそれぞれに五名ずついる師帥だけは例外だった。将軍は雲海の上に、師帥はこの治朝に邸を構えることができる。(新白銀一255)
これだと、庫門も雉門も国府より奥にあるように聞こえる……。
ちょっと待て、まさか雉門が国府の奥にあるっていうのは、国府の敷地の一番奥という意味でなく、国府より奥、という意味だったのか? それならば、まあ、庫門も国府の奥側で通らなくはないが。
でも、国府より奥まで市民の出入りが許されるって、なにのためにだろう。
また、奉天殿だ。
 奉天殿は白圭宮の公に開かれた正殿とも言える建物だった。皋門から白圭宮に入り、正面に聳える殿堂。奉天殿の手前に位置する広大な前庭を楼閣が取り囲んでいる。奉天殿前庭までは民が自由に出入りできる。 即位式をはじめとする多くの儀式で使用されていた。(新白銀四328)
皋門入って正面にそんなでっかい殿堂と広場があって、国府はどこにあるのかな……。
右か左だろうか? 正面塞がれて、庫門や雉門へはどう行ったらいいんだろう。
謎度の高いのが庫門で、
 そこからさらに一段上がって、庫門の奥に国庫が広がっています。ここまでが凌雲山の全高の一〜二合目ぐらいまで、と考えていただけると。(脚本(3)262)
市民の出入りするところに国庫があるって不用心じゃね? と思うし、庫門通って雉門通って上へ行くには、国庫を通り抜けるのか? と腑に落ちない。
 それを確認しながら皋門に向かう。兵卒で溢れかえった城壁を見上げて皋門に入り、真っ直ぐに王宮を昇っていく。民の通行が禁じられた庫門前の防備は、完全に戦時下のそれだった。 通行する物の身体検めも厳重で、耶利ですら綬を示したにもかかわらず、身体をまさぐるように検められて気分が悪かった。庫門を越えて、ようやく息をつく。(新白銀四351)
ん? まさか庫門を越える、っていうのは前を通り過ぎる、って意味? いや、でもひとつずつ門を潜って、とあったよな。
けれど、もし国府を抜けて、国庫への入り口である庫門(それならこの名前も頷ける)の前を素通りして雉門へ辿りついて潜って、上へと登っていく……というのならまだしも納得だ。
国庫の中は通るまいよ……!
「庫門を出たら騎乗し、乗ったまま皋門を出てそのまま全速力で駆けてください」(新白銀四325)
……庫門を出たら? 出たら、か……。
ハッ。……燕朝へ上る正規ルートの話のときに出てくる門の話のときに名前が出てきてたけど……
 雲海の上に浮かぶ玄英宮には直接出入りできる門が一つしかない。これを禁門といい、麓関弓から登る道にある五門を正門という。(WH海神30)(新海神37)
 一行は出迎えに現れた漣の官吏、大行人たちに導かれ、五門を一つずつ潜り抜けていった。門を潜るたびに重嶺山の内部を通る階段状の隧道を抜け、雲海を貫く巨大な山の、三合目、五合目、七合目と登っていく。 最後の隧道を登って、五つ目、路門を越えると、そこはすでに雲海の上――島のように聳える山頂、そこに広がる燕朝と、王宮の構造は雨潦宮も白圭宮も基本的に変わりがない。(WH華胥39)(新華胥37)
どれが五門か、という明言はなかったよな。ちょうど門が五つ出てきたから、これだな、と思っただけで?
というか、五門にルビ振ってなかったのは、ひょっとして五門って、総称じゃなくて五つの門、というだけの意味だったとか……!? いや、でも、WH華胥では、「ごもん」てルビ振ってんのよな……。
麓から燕朝に登る道すがらにある五つの門……。いや、それにしても、正門と言うからには昇降に関与する門が五つあるはずだよな。
……庫門は五門に入ってないんじゃ……!?
いや、確かにね! 中腹にある外朝にはどうやって行くんだろうと思っていたよ!
 治朝の北には断崖を穿つようにして巨大な路門が建っている。そこで騎獣を降りて門殿の内部へと連れて行かれ、奥まった一室へと導かれた。(新白銀一255)
治朝には応門・路門でアクセスできるけど、雉門から応門までノンストップだったら外朝とは行き来できない。
……外朝のところに、いまだ登場していない門があるのか……!?
いくつか引っかかる点がないではないが、けっこう筋の通る推測ではないかね。
皋門は中央にしても、庫門とか雉門はド正中ってわけではなく、左か右に寄っているのかしら。
まあ、奉天殿をどう躱すかについてははっきりせんが。
 静之は白圭宮を思い出した。皋門が聳え、その内側には奉天門の楼閣。左右には同じく高い楼閣が聳え、四方の建物を高い城壁が繋いでいる。 奉天門を潜れば奉天殿前庭に出るが、その左右にも楼閣が聳える。前庭には至るところに兵士がいるだろう。奉天門から皋門に至る隔壁には無数の兵士と空行師が控える。(新白銀四335)
奉天門から皋門に至る隔壁……。
 皋門は開き、奉天殿へと至る庭院(ひろば)が見渡せた。奉天殿の前庭に比べれば小さな――けれども大きなその場所は、 四方を高い建物と堅牢な城壁に囲まれ、まるで蓋の開いた箱のように見えた。(新白銀四363)
だから、庫門へはどう行ったらいいんだよ……!

結論  わからん……。