(1)
雲海の上に広がる王宮の最深部――燕朝は何重もの隔壁と門によって、いくつかの区画に分かたれている。最奥にあるのが王后の住まいとなる北宮で、その手前が小寝、これを総称して後宮という。後宮の東には、王の親族の住まいとなる長明宮、嘉永宮などの続く東宮が、西には鳳凰や白雉など五種の霊鳥が住まう宮で構成される梧桐宮、王が礼拝する太廟、あるいは子や実りを願う路木のある福寿殿などで構成される西宮があって、後宮、東宮、西宮を併せて燕寝と称する。燕寝の中心は後宮であるところから、後宮と一括して呼ぶこともあったが、戴国白圭宮の後宮は現在、西宮を除いて閉められている。たとえ開いていても、西宮以外の後宮は、そもそも宰輔ですら気安く立ち入ることはできない。(新華胥39)
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後宮:最奥が北宮、その手前が小寝。
西宮:後宮の西。梧桐宮、太廟、福寿殿。
東宮:後宮の東。長明宮、嘉永宮。
後宮、東宮、西宮を併せて燕寝あるいは後宮と呼ぶ。
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(2)
西寝の北には西宮が広がる。そこには天帝を祀る廟や路木があった。(新白銀二188)
ただしこれは、西寝――仁重殿を始めとする宰輔のための一郭――が先の蝕で大きく損傷しているので致し方ないとは思う。(新白銀二205)
白圭宮の西の一角を成す西寝、麒麟である宰輔の領域は寒々しい荒廃に覆われていた。(新白銀三158)
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西寝の北に西宮。
仁重殿は西寝。
正寝と紛らわしいから、「さいしん」にしてほしかった。
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(3)
言いかけ、泰麒はふと足を止めた。驍宗に背中を押されるまま歩いてきたけれども、あまり見たことのない場所に入りこんでいたからだ。あたりを見廻すと、間近に正寝の正殿が見えていた。正殿のすぐ西隣にある建物のようだった。(新華胥66)
泰麒はどこだろう。午後の政務に就くには少し早い。外殿はとっくに出た頃合いだが、正寝に設けられた自室に戻るほどの余裕はなかろう。仁重殿ではないだろうか。(新黄昏100)
女官たちは六寝に近い堂屋にいたから――当時は、そこが泰麒の住まいだった――全員が事なきを得たのだが、その後、阿選が偽王として立ったことで散り散りになってしまったのだという。(新白銀二274)
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今回初めて出てきた六寝。それはなんだ……。でもこれらの記述から、正寝と六寝は同じもの、あるいは極めて近しいものを指しているように思う。
ということで、同一の殿舎であると見做して話を進める。ここをそう定義しないと、本当に話が進まない。
そして、同じものだとすると、六寝の正殿は、正寝の正殿の長楽殿と同じ、ということになるはず……。
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(4)
すぐに目の前に王の居殿となる六寝の建物が見えてきた。ここからさらに奥になる後正寝と後宮、広大なその建物群のどこにいま阿選はいるのか。
泰麒は軒端に近付き、建物の様子を窺いながら奥へと進んだ。ほとんど人影は見掛けなかった。警備する兵卒が巡廻している様子はない。六寝の正殿(おもや)に明かりが見えないのを見て取って、さらに北へと向かう。正殿の北に建つ後正寝は王にとって真の私室とも言える建物だった。(新白銀三38)
後正寝でなければ、後宮にある小寝だろう。(新白銀三40)
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やはり、王の居宮はいままで正寝と表記されてきた。同じものか……。
その奥に後正寝と後宮。六寝の正殿の北に後正寝。
この書き方だと、後正寝は後宮に含まれていないように思える。
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(5)
中は王宮内部の路寝、広々とした露台の前方には、高い隔壁を隔て、王の居所である正寝の建物が聳えている。杜真ら兵卒はもちろん、重臣である高官たちでさえ無断で立ち入ってはならない禁域。(新黄昏30)
「ろくでもない結果になる前に、女王など潰してしまえ、という連中もいる。だから危険で路寝には素性の知れない官吏を置けないんだ」
言われてみれば、と李斎は納得した。かつていた花殿でも、ほとんど官吏の姿を見かけなかった。正寝だというのに、花殿のまわりは閑散としていた。李斎の面倒を見ていた女御も、鈴というあの娘だけ、祥瓊と呼ばれる女史がときおり出入りしていたが、李斎はそれ以外の下官の姿を見たことがなかった。
「……それは、私が警戒されているのだと思っていた」
「そういうわけじゃない。いまはまだ路寝に人が少ないんだ」(新黄昏327)
「仁重殿があるってことは、ここは路寝だよね?」
「はあ……そういうことになります」
「路寝の奥の門を抜けたら後宮に入ってしまうのじゃないかしら」(新華胥39)
六太は真っ直ぐに王宮を駆け上がり、禁門へ向かう。燕寝と呼ばれる一郭の、奥まったあたりにある建物の、階段を降りれば凌雲山の中腹、そこに設けられた大扉がそれである。(新海神337)
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仁重殿は路寝。正寝も路寝と思われる。
禁門を入ったところも路寝のようだが、これがよくわからない。正寝が見えていて、禁門からまっすぐに正寝へ行けるとなると、近そうに思える。DVDのジャケットに載っていた図では、北端に描いてあったが、虎嘯が後宮を突っ切って正寝へ李斎を連れてきたとも思えない。
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禁門を入ったところは路寝なのに、禁門が燕寝の奥まったところにあるというのも腑に落ちず。
とりあえず、具体的な場所はわからないので左内府側に描いてみたが、この門から山中を階段で下っていくと、中腹にある禁門の反対側に出る、と考えておく。
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(6)
路門は燕朝の南に聳える。(新黄昏98)
泰麒一行は路門を出ると、真っ直ぐに外殿へと通された。広くひんやりとした空気の籠もった正殿の中央には荘厳な玉座が据えられていたが、そこには誰の姿もなかった。(新華胥37)
通常、他国からの賓客を招き入れる掌客殿は外殿の西にあるもので、これより奥といえば内殿のこと、よほど懇意であればともかく、たとえ他国の王といえどもそこから先へ軽々しく足を踏み入れることはない。(新華胥38)
万が一、顔見知りに会ったときのために俯き、青喜の選んだ裏道を急いで、朱夏は外殿にある朝堂へと向かった。(新華胥274)
朱夏が囁くと、背後で小さく呻き声がする。すぐに栄祝は朱夏の脇を通って、朝堂を退出していった。それを追うように、ぱらぱらと官も立ち上がり、朝堂を出ていく。おそらくはこの訃報を伝えに行くのだろう。朝堂の東に広がる府第に向かい、出ていく官吏たちをよそに、栄祝の後ろ姿だけが、真っ直ぐ南へと下って行った。(新華胥282)
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路門は燕朝の南。
そこから北へ行くと外殿。
もっと奥に行くと内殿。
掌客殿は外殿の西。
朝堂は外殿にある。
朝堂の東に府第。
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(7)
内宮とは、王宮の最深部に当たる後宮及び、東宮、西宮を含む燕寝と、正寝、仁重殿、禁門に至る路寝、そして内殿と外殿までを言う。その外側を外宮と言い、ただし、内殿と外殿を含む。本来、王は内宮の最も表にある外殿までしか出ないものだ。そして臣下は、原則として外宮の最も奥にあたる内殿までしか立ち入ることができない。
「大僕の仕事は内宮における警護だろう。西園は掌客殿の一部だ。あれは外宮であって内宮じゃない」(新黄昏439)
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内宮:燕寝、路寝、内殿、外殿。
外宮:内殿、外殿、その外。 | 
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その他、補ってみる。
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いかがでしょうか! |  |
……かようなところまでは詰めてみましたが、無視した箇所もよくわからないままの箇所もあります。
燕寝と呼ばれる一郭の、奥まったあたりにある建物の、階段を降りれば凌雲山の中腹、そこに設けられた大扉がそれである。(新海神337)
前述したとおり、禁門を入ると路寝のはずなのだが。路寝と燕寝の境目にあるのだろうか?
ひと思いに後宮に乗り込んで問い質したかったが、冢宰といえど勝手に六寝に入る権は持たない。(新白銀二294)
六寝と正寝は同じものである、という前提で考察してきたが。となると、六寝は狭義の後宮はもちろん、広義の後宮にも含まれていないのだが。
籠は外宮から内宮の官へと送られる。さらに官の手から手へと引き渡され、燕寝の中心、彼らの王の居宮である正寝に至る。(新華胥165)
これは、燕朝の中心、だと思っている。
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