陽子の帰還について、
七年一月、蓬萊国より帰り(WH月影下253)(新月影下259)
今は二月も半ばで(WH月影上52)(新月影上54)
とひと月誤差がある。
また、泰麒の帰還についても、
三十二年、一月、蓬山に黒麒還り(WH迷宮下196)(新迷宮378)
高里が小学校四年の二月のことだ(旧魔性87)(新魔性101)
二月で、雪が降ってました(旧魔性336)(新魔性377)
とここでもひと月誤差がある。
蓬萊より暦が一月遅れているのかとも思われたが、前一者の表記が講談社文庫版および新潮文庫版では『七年三月蓬萊国より帰り』となっており、
いっそうわからなくなった。
結論 「十二国は太陰暦を使用している」と言う所に落ち着きました。
『七年一月』→『七年三月』の改訂は、見なかったor手違い?の方向で(笑)。
※追記!!
驍宗様の登極の辺りについてだが。
次の安闔日は秋分、黄海の南東にある令巽門が開く。
逆算をしてみて、李斎が蓬山にいられる日々が半月を切っているのに気がついた。(WH迷宮下108)
「秋分までもうひと月ないな、と思って……」(WH迷宮下109)
という点から、これは七月の出来事だと判断していた。旧暦における秋分は八月だということだから。
ところが、
戴に新王が即位したのは和元三十三年、閏六月のことだった。(新白銀一54)
というではないか。
旧暦に詳しくない私でも、七月の次に閏六月が来るはずがないことはわかる。
悩んでいると、よくよく見てみたら、
次の安闔日は秋分、黄海の南東にある令巽門が開く。
逆算をしてみて、李斎が蓬山にいられる日々がいくらも残っていないのに気づいた。(新迷宮290)
「秋分までもうすぐだな、と思って……」(新迷宮292)
一ヶ月とか言う要素がどっか行っていた。
五月の夏至に門が開いて、六月入ったくらいに驍宗様が昇山して、閏六月に誓約、八月後半くらいに秋分……というところか。
結論2 太陰暦なのはまあ、間違いなさそうだ。
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