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号・前采王 諡号・ | |
国籍 | 才 |
容姿 | しっかりとした体躯、英知を窺わせる面。双眸には強い覇気が漲っていて、眩しいほどの威厳を発している。(WH華胥208)(新華胥197) |
肩書 | 采王 |
系譜 |
大昌の息子で、(WH華胥219)(新華胥207)
母親は早くに亡くした。(WH華胥213)(新華胥201) 馴行の兄、(WH華胥219)(新華胥207) 慎思の甥、(WH華胥213)(新華胥201) 栄祝の従兄弟。(WH華胥204)(新華胥193) 妻妾は持たない。(WH華胥226)(新華胥214) |
備考 |
登極時、采麟に『華胥の夢を見せてあげよう』と誓う。(WH華胥196)(新華胥186) そもそも近郊にこの人ありと謳われた傑物だった。破格の速さで大学にまで進み、僅かに二年で教師たちから修了の允許を得た。(WH華胥201)(新華胥191) 将来を嘱望され、前途を約束されていたが、王を嫌って国政に与せず、そのまま野に下った。 更迭されて野に下った官吏の庇護を受けて食客となると、揖寧で同志を集め、扶王糾弾の声を上げた。 砥尚の元には同じく扶王の失政に憤った若者が集まり始め、やがて民の支持を得て高斗と名乗り、 扶王の時代には民の先頭に立って国の理不尽と戦い、扶王が斃れし後には荒廃と戦った。 里祠に黄旗が揚がるや否や昇山し、采麟の選定を受け、(WH華胥202)(新華胥192) 二十八で玉座に就いた。(WH華胥205)(新華胥194) 采麟の失道がひどくなってからは酒が過ぎ、朝議に泥酔してくることも再三、朝議の間も心はそこになく、 時に意味不明のことを口走ったり、唐突に叫びをあげることもあった。(WH華胥266)(新華胥250) 彼にとって国のあるべき姿とはただ一つしかなく、道に沿った理想の先にある答以外はありえず、頑ななまでに 妥協を一切受け付けないほど、自分の抱いた華胥の夢に絶対の確信を持っていたが、 その確信は扶王を責めることで培われた夢だった。(WH華胥310)(新華胥292) 華胥華朶の真意を知り、騙されたと怒り、(WH華胥286)(新華胥270) 弟と父を手に掛けた。(WH華胥314)(新華胥296) 在位二十余年にして(WH華胥202)(新華胥192) 自ら位を下り禅譲した。(WH華胥298)(新華胥281) 『責難は成事にあらず』との遺言を残した。(WH華胥299)(新華胥281) |
生死 | 死(WH華胥298)(新華胥281) |
声優 |